認められることについて

今日はお客さんからの戻しのメールを読み、朝から気分が悪くなった

お客さんなりの修正依頼だが、「フォント変えて」だの「目立たないから色変えて」「○○をもっと大きく」「この画像は反対側へ移動」など色々。良いのである。実際、ずーっと良いものに仕上がった。

でもその文章を読んだときに沸き上がった感情はこんな感じ

  • は?なんで上から目線なんだ?
  • 目立たないからって、分かっててやってます。そういう色彩なんです、そこ目立たせたいとか、知らんがな。
  • もう、他人の物作るの嫌だ!思った事好き勝手に言ってきて、その言葉通りにしたら左右のバランス悪くなるの確実、そこはどうしてくれんのよ!!!!
  • そもそもこれA4サイズってわかってんのか!そんなに情報量多かったら入らないやんか!!
  • あれこれ

うん、一日たって、忘れかけていたが、結構激しい感情の湧きたちだった。良いじゃないか、やったじゃないか!振り返ろう。

まずちょっと嬉しかった。もちろん、そういう感情が出てきたのもちょっと嬉しかったのだけど、さらに「もう他人の物作るの嫌だ、自分の作品作って生きたい」と思った事。まあ、誰か他の人の依頼で、その人の頭の中にもハッキリと形になっていないものを、たたき台を作ってあげて、それを叩かれながら固めるというのは、、、、本当につらい。自分でやってよ、って何度も思う。だからここからの逃げかもしれないけど、でも、それがコントラストなんだなあ、って思うのと、自分の作品作って生きる方に自然とフォーカスできたことが嬉しい。

こんな感じで気分が悪くなったり妙な嬉しさも感じたりした後、ちゃんと座って深呼吸して、気分を鎮めるようにしてみた。

それでもちろん、最初に確認する。

印刷サイズはA4ですよね?じゃあ、あなたの指摘通りにやっても他の問題が発生するから少し他の案考えます、時間頂戴します。そしてあなたの言う○○って、意味が取り切れないのですが、こういうことで合ってますか?

このメールをする時がとても快適、爽快な気分になる。自分が上に立った気分。もちろん、失礼のない体で文章書くし、勘違いしていないか、何度もこれまでのやり取りも見返す。そして、このプロセスで、自分の見落としがあったことに気づくこともあるとわかってる。

ただ、感情的には相手の言い方に、大分落ち着いたにせよ怒っている。相手がおかしなこと言っている、直さないと、私は何にも考えずにお客さんの意見に振り回される作者じゃない、仕事できる!と穏やかではなく感じている。そして焦っている。それでも一旦気持ちを静めたり、妙な嬉しさを感じたりもしていたし、昔の自分よりは落ち着いていられたと思う。

で、メール送る時に新しいメールが来ていたのに気づいた。「全体の感じはとても良いです、伝わると思ってました」

はあ、私、この言葉が先に欲しかったーーー

やっぱり認めてほしいんだわ。

その後とっても良い感じで修正が完了。無事スケジュール通りに仕事が完了した。それに、とても気に入ってもらえたようだ。

制作物的にも、非常にナイスな修正依頼だった。本当にかっこよくなった。

認めてもらうのは本当にうれしいのだ。これって自分が認めてないからかな?もし私が自分を100%認めていたらどうなるんだろう。考えてみた。

嬉しいというか、日々楽しく挑戦できそうだ。小さなことも大きなことも。誰かに普段言わないような気分の良くなる言葉をかけてみたり、ちょっとした何かを始めてみたり、が当たり前にできる、という感じ。

認められてうれしい、というのは、認められていない前提があったからかもしれない、特に今日は。このお客さんが私のセンスにある程度信頼を寄せてくれてる事はわかっていたけど、毎回違うものを作るわけで、やはり言ってもらえないと、「好きじゃなかったかな?」「修正点ばっかり、良い事書かれてないけど、無かったのかな」なんて、無意識に思ってたのかも。または、安心できる要素が全くなくて、不安と恐れが勝っちゃった、で、私は攻撃的に確認メールを送るという、この流れは今回だけじゃなく、いつもそんな感じだったのかもしれない。

これからは確認メールを送る時に、良かったところはありませんでしたか?とか聞いてみようかな笑

それか、たたき台を送る時に、「修正点挙げてください、また今後の修正がスムーズにいくように、良かったところも教えてください」くらいにメールしたら良いかもね。「今後の修正がスムーズにいくように」ってのは完全に建前ですが。でも、良い案だと思う。

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